No.38「哄笑(こうしょう)」

個性的なものにこそ普遍性

今回は「芸術は爆発だ!」の名言で有名な洋画家・彫刻家の岡本太郎さん(1911~1996年)をご紹介させていただきます。
岡本さんはその破天荒な言動で、現代美術家としては珍しく一般の人にも広く知られた存在でした。父は漫画家の岡本一平、母は歌人で作家の岡本かの子。その一人っ子として生まれ、自由な考え方の中で育ったようです。


1929年、東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学するも半年で中退、両親の渡欧に同行しました。その後、一人パリに残り、ピカソの抽象絵画に接して衝撃を受け、純粋抽象の道に進みました。そこで、モンドリアンやカンディンスキーらと抽象芸術運動を展開、やがて具象と非具象が絡み合った独自の絵画世界を創り出し、1938年にシュルレアリスト展に出品した「傷ましき腕」はブルトン、エルンストらに激賞されることになります。


1939年に、パリ大学民族学科卒業後帰国。1942年に中国へ出征、1946年に復員し、まもなく活動を再開します。しかし、日本の画壇とは一線を画し、一貫してモダニズムを批判、1050年代まで社会風刺色の強い作品を制作していました。1960年代からは原色を用いた激しい筆致でエネルギッシュな抽象形態を描いています。1959年から本格的に彫刻の制作をはじめ、1970年には大阪万国博覧会のシンボルタワー「太陽の塔」をつくり、その名を全国に知られることになります。


著作も多く、縄文文化を高く評価した「日本の伝統」(講談社)や「沖縄文化論/忘れられた日本」(中公文庫、毎日出版文化賞受賞)などを著し、多才ぶりを発揮しました。また、建築とのコラボレーションも多く、旧東京都庁舎、代々木のオリンピック室内競技場、パリ国際会議センターほか、多数の作品を残しています。2003年、メキシコで失われたと思われていた巨大絵画「明日の神話」が発見、修復され、JR線と京王井の頭線を結ぶ渋谷マークシティ内のコンコースに恒久設置され、公共アートとなったことをご存知の方も多いと思われます。


当院に展示されています版画「哄笑(こうしょう)」は、赤・黄・黒を基調とした画面で、情熱的、躍動的な力強さで、とりすました社会規範を笑い壊す岡本芸術で、見る人に元気を与えてくれるのではないでしょうか。
(参考文献/日本美術家事典)


作品解説:
彫刻家望月 菊麿