No.29「Un title」

建物の装飾的レリーフから台座を従えて大地に自立したように、そもそも彫刻は、屋内よりも屋外を母胎として誕生した芸術でした。室内設置の分野でも一級の作品を残した人でしたが、急逝した彫刻家・眞板雅文がつねに戸外の自然を念頭に置いた制作を続けてきたのも、彼がこの彫刻の原点を見据えていたからに違いありません。記憶によみがえる野外のモニュメント、あるいは美術館所蔵の大作はいうに及ばず、室内用の小品やレリーフからさえも、彫刻を緑したたり風そよぐ野に返したいという眞板のまっすぐな思いが伝わってくるような気がします。
筆者が眞板雅文に最後に会ったのは、2008年の4月。久しぶりに再会した場所は彼の個展会場の銀座の画廊でしたが、永遠の青年さながらの風貌も、人懐こい笑顔も、そしてイタリアのトリノで開く彫刻展のことを楽しげに話してくれた快活な口ぶりも、いつもの通りでした。近況を尋ねた筆者に「一度体調を崩したけど、自然を相手にマイペースで暮らしているから、ストレスの多いみなさんよりはうんと健康ですよ」と答えてくれたのに……。眞板は1944年生まれのまだ、64歳、これから芸術の大輪が開こうとしていた時に、惜しんでも余りある早すぎた死というほかありません。
木や石、鉄、ロープ、さらに水など、眞板は種々の素材を使いこなした人ですが、その造形が大きな飛躍をみせたのは、2年ごとに開催される世界でも著名な美術の祭典「ヴェネツィア・ビエンナーレ」に、日本代表として出品した1986年前後あたりでしょう。この時期に盛んに製作された、天に伸びゆく樹木の枝葉を思わせる鉄のユニークな形態は、まさに自然との照応をめざした彼の彫刻ヴィジョンを見事に体現したものといえます。やがて、色とりどりの布やひも、ロープなどを巻きつけた円環形の作品などを経て、その作風は次第に和風の趣を増し、無数の長い竹筒を逆円錐形に組んで水をしたたらせる、精緻で余韻に富んだ近年の傑作群へと展開してゆきます。
眞板も時代の子として、形態をとことん単純化するミニマル・アートや、物体に造作の手を加えない”もの派”といった大きな動向の影響下に出発した作家でした。そこから自然と響き合う独自の彫刻をつくり出していったのですが、東葛クリニック柏にある箱枠の作品は、まさにそのような眞板芸術の展開期に属するものといえます。細い針金の直線やぴんと張ったひもで構成された幾何学形態を、所々小さく曲げたり、茶や緑や白に彩色した布を旗か木の葉のように添えたりしたそれは、清々しい風が吹き抜けていく自然の中にいるような心地を誘わないでしょうか。


作品解説:
美術ジャーナリスト三田 晴夫