東葛クリニック病院のヒーリング・アートについてⅡ

芸術作品から受ける刺激

東葛クリニック病院に来院される患者さん、あるいは各地の関連透析施設を訪れる方々、またそこで働く職員の皆さんは、展示されている数々のアートに触れられて、それをごく当たり前のこととして受け入れているのでしようか。それとも、アラ?……と興味を抱いたり、何を表現しているのかな?……と不思議に思ったりしているのでしょうか。さらには、きれいな色だ……とか、どんな人が描いたのだろう? あるいは、どこで売っているのかな?値段はいくらぐらいするのだろう?などと、さまざまに考えておられるのではないかと想像しています。

楽しみ方は人さまざま

病院のヒーリング・アートがきっかけとなって、日常の生活の中にアートが持ち込まれたり、職場や家庭のアートが生活に刺激をもたらし、癒しや潤いをもたらしたりするようになれば、それは立派に「医療施設発」のヒーリング・アートといえるのではないでしょうか。
アートの楽しみ方はさまざまです。ごく自然に、無心に、きれいな色や形だわ!と鑑賞し、楽しまれる人。この作品は何を言わんとしているのだろう?と理屈で理解しようとする人。また、この毒々しく過激で、決して美しくはないものが、なぜアートと呼ばれたりするのだろうか?と自分の価値観に照らして判断しようとする人。この作品は今、いくらぐらいしていて、将来どのくらい値上がりするのだろう?と、経済的な観点から考える人。この作者はどんな生活をしているのだろう?と作品と作者の関係に思いを馳せる人と、見る人は一つの作品から実にさまざまなことを受け取り、考えされられるのではないかと思います。

アートをどう見るか

アートは、古くは現在のビデオや写真のような記録媒体でした。時の権力者の威厳を示す記録や装飾、宗教における教義の威光や宣伝の機能を果たしていました。それが、近世になって特権階級のものから一般社会で美の追求や社会的メッセージの手段となり、表現方法の拡大、あるいは経済的な投機の対象へと変化していきました。
アートの送り手も、一定の訓練を経て技量を備えたお抱え絵師や宮廷画家、宗教画家から、現在では誰でも、強い自己主張を持ってさえいればアーティストになれる社会になっています。
一方、受け手の鑑賞者は、現在のアーティストほど自由ではないように思われます。大きな美術館で開催される印象派の展覧会や有名日本画家の個展、国宝の展示等は、数時間待ちの長蛇の列です。しかし、それ以外の現代的表現の展覧会や、東京に300軒ほどあるといわれる画廊はいたって静かで、人影もまばらです。これは以前にも書きましたが、自分なりの価値観が希薄なことの表れではないでしょうか。

自分なりの価値観を持とう

権威ある人が決めたこと、マスコミで流された評判等が大きく人の行動を左右しているように見えます。成熟した文化とは、多様な価値観の存在と、選択の自由です。それにはまず、それぞれが持つべき固有の価値観の育成が必要です。そのためには日々の生活の中で"心を自由に"して、いろんなことを見、聞き、判断する習慣を身につけることです。受験効率優先の教育のあり方も再考する必要がありそうです。
アート作品は日々、さまざまなものが創り出されています。しかし、話題になってマスコミに取り上げられるものや売れる作品は、時代の流れ(流行)の中で移り変わりはしているものの、常に一部の作品ばかりです。しかも、アートに関心を寄せている方の多くは値上がり期待や財産保全を目的としているようで、淋しいかぎりです。

「好き」という理由だけで充分

本来アートには、さまざまな表現方法や方向性があります。受け手の鑑賞者がそれぞれに身の丈にあった作品を、真に「好きだから」という理由だけで購入するのであれば、一時的な値動きに落胆することも、他人の評判に失望することもなく楽しめることと思います。「楽しめること」が癒しになり、免疫力を高める一助になるのかもしれません。
他人の目にとらわれず、自分自身の目と価値観を持つこと、それこそが心の平穏と生活の平安をもたらすのではないでしょうか。
院内に展示されているアートの数々が、来院される方々の生活の一部となり、大きな楽しみの源泉となり、癒しのきっかけになればと、切に願っています。

彫刻家望月 菊麿